「何故サッカーを続けるのか」
この質問を4年間で相当な数されてきました。今回このように機会をいただいたので、自分の大学サッカー人生を振り返りながら答えていきます。
1、2回生は苦しんだ日々が多く浮かびます。試合に出られず、自分が惨めで泣いた日もありました。責任は自身にしかないので、オフと居残りでの練習・禁酒・栄養バランスの取れた食事など試行錯誤して努力しました。しかし結果は出ず、「まだ甘い」・「センスがない」という言葉がのしかかる毎日で、高校までで辞めておけば…と思うこともありました。
自由で楽しいはずの大学生活で、もっと悩まないで生きる方法もあったとは今でも思います。
ただ無限にある大学生活の過ごし方の中で、後悔という時間が最も無駄であり、選んだ道を全力で進み、自分の力で最高かつ誇りある4年間だったと納得させるしかない。この想いが常に行動の指針であり、原動力でした。だからこそ、どれだけ辛くて辞めたくなっても「自分が選んだ道」、ましてや大好きなサッカーから逃げ出すことだけは死んでもプライドが許さなかったです。
這いつくばってでも貫徹し、この部活に何かを残してやると。
そして先輩方や同期の支えもあり、続けることが出来ました。2回生で挙げた初ゴールは忘れられません。
3回生で幹部となったとき、下手でも誰よりも走り声を出す選手になろうと思っていました。しかしシーズン前の2月に首に大怪我を負い、選手としての1年は絶望的なものになりました。目の前が真っ暗になったのを覚えています。今まで自分の軸であった「下手でも~」ですら出来ない。そこで見つけたのがピッチ外活動という存在です。
外大サッカー部を魅力的なクラブにするという先輩方から受け継いだ理想を叶えることが当時の自分に出来る最大限の考動であり、それまでサッカーをさせてくれた部への恩返しだと思いました。難しく悩むことや反省することも多かったですが、とても楽しくあっという間に1年が経ち、色んなことを始めることが出来ました。
どれだけのことを残せたかは分かりませんが、部活に対する「情熱と考動」の姿勢と、この活動は決して無意味ではなく、クラブの未来を左右する重要な要素であることが後輩たちに伝わったのは間違いないと信じています。
その第一歩としての礎を、愛するクラブの歴史に刻むことが出来たのは誇りです。部員の皆さんも協力してくれてありがとうございました。そして何より最後まで情熱を持って支えてくれた同期のキャプテンには感謝でしかないです。
最後の年は、コロナウイルスの影響で長期間活動禁止の状況の中で、体育会長という立場で「withコロナ」で活動再開できないかということを大学と交渉し続けました。感染対策を考えていき、部活たちの想い、そして自分の想いをぶつけ、ついに10月と遅くなりましたが活動再開が許可されました。家で一人ガッツポーズをしたのが懐かしいです。
活動再開後は、感染対策の指揮を執りながら、自身としてサッカー最後の年を楽しみました。
活動再開は果たして正しい主張だったのかは未だに分かりません。安全面を考えたら間違っていたかもしれない。しかし再び外大に戻ってきた、部活中の皆の笑顔を見ると頑張って良かったと心から思えるのです。
4年間を振り返ると、色んなことがありましたが、常に楽しく、情熱を持ち続け熱中することができました。支えてくれた先輩方、後輩たち、そして同期、本当にありがとうございました。皆さんと出会えた外大サッカー部での大学生活は人生の誇りであり、最高の想い出です。
エースとしてゴールを量産のような憧れたサッカー人生を歩むことは出来ませんでしたが、僕は自分なりの得意な形で貢献できたと思っています。
自分が前向きに歩みを止めないことが、大好きな外大サッカー部、そしてチームメイトの少しでも役に立っている。そのことが最大の喜びであり、僕の「何故サッカーを続けたのか」に対する答えであります。
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